どんなに努力しても、時にはそれが報われないことがある。どんな策士も組織内の深い問題や文化の隔たりに自滅することがある。
太郎さんは通信大手の従業員なのですが、会社が小規模出版社を買収。その統治を任されました。出版業界に新しい風を吹き込む野心を持つ39歳です。
新しい責任に、彼は自分の愛読書であるマキャヴェッリの「君主論」からヒントを得えようと奮闘しています。誰が言い始めたわけでもありませんが、太郎さんのあだ名は「マキャ太郎」。古典的な政治理論書が統治とリーダーシップの指針となりますでしょうか。
マキャ太郎の手腕
ネクタイをしめ、マキャ太郎は神保町のオフィスへ取り込みました。元社長は会社から去り、マキャ太郎の新社長としての仕事が始まります。出版社でのキャリアもまだ浅い。しかし、彼の目は自信に満ち溢れていました。といいますのも、愛読書のマキャヴェッリ『君主論』を夜な夜な読み耽り、この日のために企業統治のイメトレを積んでいたからです。
そうです。太郎さんはマキャベリスト。目的のためには手段を選ばず、愛されるよりは恐れられることを好む策士なのでした。太郎さんは職場の同僚たちからは「マキャ太郎」とあだ名を付けられるほどです。
買収した会社の社風は親会社と違っていました。金髪、銀髪、長髪。冬なのに半ズボン姿の人までいます。スタッフたちは仕事中に競輪や競馬の中継ばかり見て、仕事をしているのかしていないのか、いまひとつ判断がつきません。数か月がすぎ、ともすれば数字ばかり追い求めるマキャ太郎のスタイルに、従業員たちは「絆が大事だ」とか「穴狙いの方が夢がある」とか言って、少々話がかみ合いません。とはいえ、SEOやKPIといった共通の目標も持っています。共通言語も日本語なのでコミュニケーションの手段も心配ありません。しかし、お互いの信頼関係は少々冷えつつあり、おまけに職場の生産性まで低下しているようです。
ある夜、マキャ太郎はオフィスでひとり、深く思索にふけっていました。統治はうまくいっておらず、生産性も落ちている。ふと、マキャヴェッリの言葉が頭をよぎりました。
たとえ言語に差異が多少あっても、にもかかわらず風習が似ていれば、相互にたやすく認めあうことができる。そしてこのように新たな政体を獲得した者が、そこを保持したければ、次の二点を守らねばならない。その一は、古い君主の血筋を抹消してしまうこと。その二は、住民たちの法律も税制も変えないこと
マキアヴェッリ著、河島英昭訳『君主論』、岩波書店、2012年4月26日発行
彼はこのこの言葉に腹落ちしたのでした。明日から、違う方法を試してみることにしました。新しい会社の従業員たちとのミーティングです。
いつものミーティングと違うのは、彼が話すのではなく、彼らに話をさせることに重点を置いたことでした。彼らのアイデア、文化、価値観を受け入れ、尊重する姿勢を見せたのです。この日を境に、少しずつ従業員たちはマキャ太郎さんに心を開き始めました。
マキャ太郎の支配はまだ道半ば。従業員たちの間に活気が満ち、異なる企業文化が融合し、新たな創造性が芽生えることを夢見るのでした。マキャ太郎は、マキャヴェッリの教訓が、時代を超えてなお有効であることを信じようとしたのです。
マキャ太郎はこのように理解したのでした。真の統治者は、あからさまに抑圧するのではなく、理解し導く者として振る舞い、ソフトに支配するのだ。かくしてマキャ太郎は、周囲からはいつしか「心理的安全性太郎」と呼ばれるようになったとか、ならなかったとか。
※実話をもとに脚色した記事です。筆者が直接見聞きしたり、取材した内容がもとになっています。個人が特定されないようところどころ変更を加えながら構成しています。