論点「組織というものはすべてその構成員から一定の自由を奪おうとする」
第四部では論点として「組織というものはすべてその構成員から一定の自由を奪おうとする」を挙げて、古代や現代の例をいくつか挙げています。この主張は非常に分かりやすい内容でした。
例えば、キリスト教が確立しはじめたころ、ヨーロッパにヒッピーのように放浪する修道士たちがいました。
5世紀あたりから姿を消しはじめ今では絶滅してしまいました。理由はキリスト教の公会議で禁止されたからなのだそうです。
禁止にされた理由は、放浪する修道士たちが完全に自由だったことにほかなりません。財力があったからではなく、物欲がなかったために、金銭的に自由で、怖いもの知らずだったからだと説明しています。彼らは物乞いであるがゆえに、フ××ク・ユー・マネーに相当するものを持っていたからと指摘します。
フ××ク・ユー・マネーとは人間が腐ってしまうほどの大きな財産はないが、お給料をそれほど気にせずに好きな仕事を選べるくらいの財産は持っていることです。
フ××ク・ユー・マネーがあればいつでも会社のイスを蹴飛ばしてやめられますね。
「恒産なきものは恒心なし」(財産や決まった職業のない人は、定まった正しい心がない)という孟子の言葉を連想してしまいました。
放浪することを禁止された放浪修道士たちは教会に1年間の修練期間を課せられ、十分に従順かどうかが見極められました。修道院生活はより制度化され、修道士の活動、階級制度、修道院長による厳格な監督がされたのです。タレブ氏はこう書いています。
組織的な宗教を運営しているなら、完全な自由は最大の敵だ。また、会社を運営しているなら、従業員に完全な自由を与えるのは最悪の行為だ。
出所:ナシーム・ニコラス・タレブ. 身銭を切れ――(Kindle の位置No.2021-2022). ダイヤモンド社. Kindle 版.
こうした箇所を先のジハード戦死は身銭を切っていないという主張と合わせて読むと……。私は著者の主張がよく分からなくなってくるのです。