筆者は読者にオオカミと犬のどちらの生き方を勧めているのか?
タレブ氏は大企業は家族を持つ人々、たとえば住宅ローンを抱える人々優遇すると主張しています。 理由はリスクを抱える人々は飼い慣らしやすいからだと言います。
組織で働く従業員を犬とオオカミに分類します。犬の生活は順調で安泰にも思えるが、飼い主がいなくなれば、犬は生き残れません。雇い主に見捨てられた従業員は、二度と立ち直れませんと言っています。
これに対して、生き抜く訓練を積んでいるのがオオカミ(奴隷ではない従業員=企業人としての評判なんてこれっぽっちも気にしちゃいない人)。犬たちなかにもオオカミが紛れ込んでいるとして、営業担当者や儲けを出しているトレーダーなどの職種を挙げています。
タレブ氏はここで次のように強調します。「何があっても、オオカミのふりをした犬にだけはなっちゃいけない」。タレブ氏はノーベル経済学賞の受賞者、CIAの長官などの例を挙げて、「失うものが多ければ多いほど、その人間は脆くなる」と説明しています。
ここまで読むと、タレブ氏はヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』や五木寛之の『青年は荒野をめざす』ようなアウトサイダー的な、よく言えば自律的な生き方を提案しているのかなと思っていまいます。
ところが、ジハード戦士に対しては連帯保証人を求めているように読めました。
結局、タレブ氏は我々にオオカミになれといっているのでしょうか? それとも犬になれと主張しているのでしょうか?
私の感想は「タレブ氏は怒りすぎて論点がブレているのでは?」としておきます。今後さらに読み込むことで、感想が変わることを期待したいと思っています。