ナシーム・ニコラス・タレブの提案する勉強法は信じていいの?

 ナシーム・ニコラス・タレブさんの著作と出合って以来、歯に衣着せない物言いをするタレブさんの大ファンになってしまいました。でも、彼が提案する学習法については、むむっ、これはちょっと……と疑いを抱いております。

タレブさんの文体には、日々のもやもやした気分を晴らしてくれるような潔さを感じさせます。でも、私は彼が提案する学習法には疑いを抱いております。

身銭を切れ』では次のようにたんかを切っています。

(例えば)勇気のような古典的な徳について研究したいなら、またはストア哲学について学びたいなら、必ずしも古典学者に頼る必要はない。(中略)誰かを介して学ぶのはなるべく避けたほうがいい。または、教科書なんて忘れて、自分で勇気ある行動を取るのもいい。

※()内は引用者のもの

ナシーム・ニコラス・タレブ.『身銭を切れ』(Kindleの位置No.917-918).ダイヤモンド社

ええ!? ストア哲学について学びたいなら誰かを介して学ぶのはなるべく避けたほうがいい?

本は読んだという経験でなく、理解を得ることが大切だと思います。しかし、そこに至るためには往々にして人からの助けが必要です。私なら、いきなり著作を読んでもきっと何が書いてあるのか分からないでしょう。理解へ導いてくれるナビゲーターを求めたくなり、専門家が書いた入門書を読むことでしょう。

哲学の勉強法につきましては、私は哲学者・千葉雅也さんが『勉強の哲学』で提案する方法がとてもしっくりきます。千葉さんは理解のたどり方をこう書いています。

入門書を読むべきです。(中略)本格的な本は、勉強し始めて、数年経たないと読めないものです、それで普通であるとはっきり言っておきたい。最初に読むべきは、入門書です。

千葉雅也.『勉強の哲学 来たるべきバカのために(文春e-book)』(Kindleの位置No.1691-1692).文藝春秋

なんてわかりやすい勉強法なのでしょうか。背伸びをせず、まず入門書を! 素直に納得できます。

餅屋は餅屋。分かっている人を見つけて聞くのが一番。優れた本(入門書)との出合いとは、モノを介した人との出会いに他なりません。もっとも、大学人が必ずしも「餅屋」と限らないことにつきましては、なるほどタレブさんの意見も一理あるかもしれません。

ああ、私は向こう見ずな学習態度のせいで、どれほどの時間を無駄に費やしてきたことでしょうか。

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この記事を書いた人

法政大学文学部哲学科卒。編集関係の業務に従事。金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味は絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。

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