こんにちはジャスミンです。前回の「私はこれでベジタリアンをやめました 菜食への疑問、重症の貧血生活」続き。私がベジタリアン(菜食主義)をやめたのは、結局ところ面倒くさくなったからです。
菜食思想を振りかざし、肉食をののしるベジタリアン
前の記事でも書きましたが、紹介した総菜の原材料に合成保存料が含まれていると指摘されたことがきっかけで、会員制交流サイト(SNS)への投稿をやめました。SNSでおいしい菜食を紹介している人は多いですが、農薬、遺伝子組み換え等を指摘するコメントで炎上しているのも見かけます。菜食をうたっている食材でも、実は調味料は卵が入っている等、お店の認識が違うことがあるからです。
菜食思想を振りかざし、肉食をののしり、論破しているベジタリアンを見聞きしているうちに、思ったことは「価値観の違いを批判しても傷つけあうだけ」ということでした。その人が置かれた立場により、価値観はさまざまです。
ベジタリアンにはたくさんの種類があります。例えば、仏教思想で菜食を取り入れている人は、調味料のみりんを避けます。食農に関する情報サイト[1]によると18種類もあるそうです。チーズ、卵、牛乳等の乳製品、はちみつを食す種類のベジタリアンまであります。病気の治療、単なる肉嫌い、大規模な畜産による地球環境への負荷、動物愛護、宗教観、不殺生、非暴力……。ベジタリアンに移行するきっかけは人それぞれ違います。
どれが正しいかは誰も決められません。お互いに批判して、論破するよりも、肉食、菜食、どちらも楽しめるレストランを探した方がずっと有意義だと思えてきました。
私が完全菜食への強い思いがあれば、このような「問題」や「間違い」を巡る論争から避けることもできたのでしょう。しかし、そこまで調べるのが面倒くさくなってきました。もう「野菜多めの食生活でOK!」と自分に許可を出すことにしました。
完全菜食の生活をめざしたら、父と食事ができなくなった
私が育った家庭は母が料理好きだったので、限られた予算の中で工夫して料理をしていました。肉、魚、卵等の動物性食材は毎食ありましたが、野菜の方がずっと多い料理を作っていました。私は食べることに困らず、大きな病気もせずに成長しました。
私が米国で菜食主義の影響を受けて帰国してから、ある日、動物性食材を食べるのを控えている話を父にしました。すると、お肉が大好きな父が「もうあなたとは一緒に食事ができないのかな……」と寂しそうにつぶやいたのを忘れられません。
仕事等の付き合いの外食や家族のイベントでは、動物性食材を時々食べていました。食べたことによって体調に悪い変化はありませんでした。しかし、完全菜食の人から見ると煮え切らない態度に映ったようで、人に合わせる必要はないと批判されました。周囲のベジタリアンの目を気にしながら菜食生活を続けた結果、動物性たんぱく質が足りず重症の貧血になり、動物性食材を食べて鉄剤で貧血での治療をうけるはめになってしまいました(鉄分は良質な動物性たんぱく質と一緒に食べると吸収率が高まるそうです)。
今の自分に必要ないものからは思いきって離れてみる
食生活でも、習い事でも、長く続けてきたことをやめるのは心が痛みます。私は重症の貧血という状態になり菜食をやめましたが、「今までの自分は間違っていたのか?」と自問することもありました。過去の自分を否定しているようで悲しくなることもありましたが、今は「貧血が改善した」という事実に満足しています。
何かを続けること、やめることは、誰の許可も必要がなく、自分で決めるだけです。今の自分には興味がなくて必要ないのですから、思いきって離れるのも必要だと思います。