『ポケット般若心経 (中経の文庫)』仏典解説は目からうろこが落ちるのか?

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最初に結論を書いておくことにします。『ポケット 般若心経 (中経の文庫)』は、マインドフルネスのエッセイとして読むのは最適だと感じました。読後感は確かに心が軽やかになります。ところが般若心経の解説書として読みますと、満足できないかもしれません。

どうしてこの文庫本を手にとったのかといいますと、父の日も間近ですから、何かしら心が軽やかになる本を贈りたいと思ったからです。父は老人性うつの傾向があります。何か良い本はないかしら。手に取りましたのが本書でした。

筆者は大栗道榮さんという方で、白門・中央大学ご出身の高野山真言宗大僧正でもあります。「はじめに」で、このように書いていらっしゃいます。

般若心経は、あなたに苦しみというボールが飛び込んできたとき、それを喜んで受け止め、まるでゲームを楽しむように、苦しみを一つひとつ乗り越えることを楽しみなさい、といっています。

出典:大栗道榮著『ポケット 般若心経 (中経の文庫)』、中経出版、2009年、p18

苦しみをボールに例えるあたり、なんという軽妙洒脱な表現なのでしょう。私は与太者でひょうろくだまです。こんな私でも理解できるのでは。少々わくわくしました。

この大僧正様は、こう続けます。

仏心というものは、はるかかなたにあるのではありません。(中略)。「お釈迦さま」という仏さまは、実は、「宇宙という霊界」に住んでいた「宇宙人」だったのです。

出典:大栗道榮著『ポケット 般若心経 (中経の文庫)』、中経出版、2009年、p26

むむむ。26ページにして大僧正様のお言葉は「軽やかさ」を超越し、なにやら「軽さ」の域に達します。これをどう考えたらいいのでしょうか。メタファーなのかもしれません。でも、私には「宇宙人」という言葉はパンチがきつすぎます。手塚治虫のマンガ『ブッダ』にも、宇宙人は登場していませんもの。大僧正様はさらに舌端火を吐き続けます。

この宇宙人は、とても心がやさしいのです。人間はもともと仏心を持っているので、だれでも修行をすれば仏になれることを証明するために、宇宙霊界の星から地球にきました。

出典:大栗道榮著『ポケット 般若心経 (中経の文庫)』、中経出版、2009年、p26

誰でも修行をすれば宇宙人(仏)になれるとおっしゃいます。宇宙人になりました父の姿を想像しました。私は卒倒してしまいそうです。

実際のところ、釈迦とは何者なのでしょうか。別の本で調べてみました。

仏教学者の佐々木閑さんは『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経 』で、次のようにおっしゃっています。

仏教は今から約二千五百年前、ヒマラヤ山脈の南にある小さな国の王子として生まれたゴータマ・シッダッタによって生み出されました。ゴータマは二十九歳で出家し、何年にもわたる艱難辛苦の修行の末に、悟りを開きました。煩悩を断ち切り、老いと病いと死の苦しみから逃れるために、恵まれた境遇も地位も財産もすべてを捨てて、修行の道一筋に身を捧げたのです。

悟りを開いたゴータマは、それ以後「ブッダ(仏)」とか「釈迦」(正式には「釈迦牟尼」)と呼ばれるようになったのです。釈迦は、たくさんの弟子に囲まれ、彼らとともに集団生活を行いながら教えを説きつづけました。

出典:佐々木閑著、Kindle版『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』、NHK出版、2014年、位置no.221

そして、般若心経は釈迦によって書かれたのではないとも記しています。

『般若心経』は釈迦が直接説いたお経ではない、という点に注目してください。(中略)大乗仏教の代表者が教えを説き、お釈迦様がそれに対して「そうそう」と太鼓判を捺すというパターンは、じつはけっこうあるのです。

そこには新興の宗教である大乗仏教の人々が、古い権威を乗り越えて新たな信仰の世界を創っていこうとする意欲と戦略が垣間見える気がします。

『般若心経』を読むときは、ただ、お経の文字のみをありがたく味わうだけではなく、その背後に横たわっている歴史や成立事情などを合わせてみていくと、一層深い趣が感じられると思います。

出典:佐々木閑著、Kindle版『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』、NHK出版、2014年、位置no.486

この参考書で釈迦が何者かは、だいたいイメージはつかめました。そして心構えもつかめました。

著者が誰であれ、大事なことは心が軽やかになることです。大僧正様の「宇宙人」という言葉は、分かりやすくするための方便だったと思うことにしました。

ところが、またしてもつまずかせるお言葉が登場します。

いままで何もない、ただの空間と思っていた「空」の世界が、パッと開けてきます。それは、天地左右どちらにも無限に可能性がひろがっている世界であり、自分はそこに生かされて、思う存分働けることに気がつきます。これを「目からウロコが落ちた」というのです。

出典:大栗道榮著『ポケット 般若心経 (中経の文庫)』、中経出版、2009年、p53

ここで、私はギブアップしました。

「目からウロコが落ちた」というは、新約聖書の言葉だからです。いちいち、このようにつまづかせる言葉がありますと、本の世界に入り込めません。いったいぜんたい、真言宗のお坊さんたちは高野山で聖書の勉強でもしていらっしゃるのでしょうか。父のような聖書の知識がない方が読んだら、釈迦の言葉と覚えかねません。

父へのプレゼントは、本ではなく、讃岐うどんセットを贈ることにしました。この『ポケット般若心経 (中経の文庫)』はKindle本なら164円です(2018年5月30日現在)。先に書きましたとおり、マインドフルネス関連書と読むと人によっては入り込みやすいかもしれません。

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この記事を書いた人

法政大学文学部哲学科卒。編集関係の業務に従事。金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味は絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。

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