ウンチが止まらない。ネバーエンディング、ウンチ。午前中だけで、六回もウンチをしてしまった。お腹がくだっているわけでもなく、むしろ健康です。全部、バナナウンチです。この話をすると、便秘ぎみの妻はうらやましがります。ウンチブリブリ野郎とまで言う始末です。
とはいっても、多くもありませんが少なくもない苦労はあります。ウンチは、一日一回の方が経済的です。似たお話で、オナラが止まらない坊主のお話をご存じでしょうか。
文豪・坂口安吾の短編小説「お奈良さま」は、知られざる名作です。見事な筆致で、ほとばしるオナラを描きます。青空文庫やkindleでも無料で読めます。
主人公はお奈良さま。あるお寺の住職です。生まれたときからオナラばかりしていて、眠っているときもオナラは止まらない。そのオナラはとても見事なものだから、死に際の老人はお奈良さまにお経もオナラもあげて欲しいと遺言するほどでした。
若い女子には不評です。とあることから、中学二年生の女子生徒に、こんなことを言われてしまう。
「それがあなたの卑劣さです。私たちには礼儀が必要です。自己の悪を抑え慎しむことが原則的に必要なのです。それを為しえない者は野蛮人です。あなたはオナラぐらいという考えかも知れませんが、文化人の考え方はオナラをはずかしいものとしているのです。オナラぐらいという考え方が特に許せないのです。一歩すすめて糞便でしたら、あなたも人前ではなさらないでしょう。あなたのオナラは軽犯罪法の解釈いかんによっては当然処罰さるべきことで、すくなくとも文化人の立場からでは犯罪者たるをまぬかれません。現今のダラクした世相に乗じ、たとえばストリップと同じように法の処罰をまぬかれているにすぎないのです。特に自らオナラサマと称してオナラを売り物にするなぞとは許しがたい低脳、厚顔無恥、ケダモノそのものです。いえ、ケダモノにも劣るものです。なぜならケダモノはオナラをしてもオナラを売り物にはしません。あなたは僧侶という厳粛な職務にありながら、死者や悲歎の遺族の目の前においてオナラを売り物にして……」
卑劣、野蛮人、軽犯罪、犯罪者、低脳、厚顔無恥、ケダモノにも劣る…。ここまで言われたら、世のおじさんたちは立ち直れるでしょうか。私なら立ち直れません。お奈良さまも思うところがあり、オナラを止める決心をするのですが…。話の結末は、ぜひ作品を手にとって読んでみてくださいませ。オナラもウンチも止めてはならぬと思わせます。
先に書いたように、私は妻にウンチの話をします。妻は便秘の話をする。オナラもかわす。坂口安吾は、こう書いている。
夫婦の交しあうオナラは香をきくよりも奥深い夫婦の愛惜がこもっている
オナラ、フォエバー。