名前を呼べば、ニャーと鳴く。決して、ワンとは鳴かない。なぜなら彼は、ネコだから。
彼の名はでんちゃん。飼い主さんの話によれば、先代の飼い猫が姿を消し、それと代わるようにして、ふらりと住み着いたノラネコだったそうです。
気品を漂わせた、お利口なネコ。見る人の気持ちを鎮めます。彼が決めたお昼寝場所は、車の上です。
私と妻は、このお宅の前を通りかかると、「今日はでんちゃんを見た」とか「見なかった」とかを話題にする。我が家で一番のアイドルなのです。でんちゃんを見みると、素晴らしい一日が待っている気分になるから不思議。
ところで、ネコが姿を消し、別のネコが現れる文学があります。夏目漱石門下の文豪・内田百閒も、随筆『ノラや』で似た話を書きました。
愛ネコのノラが帰ってこないので、こわもての内田が来る日も来る日も泣き続け、周囲を驚かせます。このペットロスを主題にした『ノラや』では、ネコの名前を呼ぶと、きちんと返事をしたという面白いエピソードが描かれています。
「こら、ノラ、猫の癖して何を思索するか」
「ニヤア」と返事をしてこっちを向いた。ノラはこの頃返事をする。尤も、どの猫でも返事をするのかも知れない。私は今まで、子供の時家に猫がゐた事は覚えてゐるが、自分で猫を飼つて見ようと考へた事もなく、猫には何の興味もなかった。だから猫の習性なぞ何も知らない。ノラと呼べば返事をすると云つても、外の猫にノラと声を掛ければ矢張り返事をするのかも知れないし、ノラに向かつて人間の名前を呼び掛けても同じくニヤアと云ふのかも知れない。さう云ふ実験をやつて見た事がないので、私にはどうなのだか解らない。
出典:中公文庫『ノラや』,2009 年11 月1 5 日改版12刷発行
ネコは、自分の名前が分かるのでしょうか? そういえばと思い、私もでんちゃんを、道ばたから呼んでみました。なんと、呼ぶたびに「ニャー」と返事をした。一方、でんちゃんの友だちは、そっぽを向いている。ネコは自分の名前が分かるようです。友だちになれたような気分がして、なおのこと、でんちゃんが可愛くなった。
内田百閒邸では、姿を消した愛ネコそっくりの子猫クルツが住み着きます。このあたりのエピソードは、でんちゃんの登場と同じですね。内田のペットロスは完全に癒えたわけではありませんが、クルツとの出会いは内田の傷心を慰めます。
人生はうたかた。愛する者との別離は避けられない。ネコも人間も同じでしょう。避けられない別離は、愛ネコでも心の準備をする必要がある。