アングラやサブカルが大好きな筆者ですが、100年以上前から読み継がれるビジネス書の古典「原因」と「結果」の法則を読んでみました。
思いが環境を形作る
本書は1902年に謎のイギリス作家 ジェームズ・アレンによって書き上げられた。デール・カーネギー、アール・ナイチンゲールなどの自己啓発系の作家に大きな影響を与えた古典。アレンは言う「自分こそが自分の人生の創り手である」。自分を見失わず生きるヒント、人生の仕事を通して、理想を実現するヒントなどがあるかもしれません。
アレンの言葉を、私なりに要約すると、「イメージしたものは実現化する」ということだと思いました。
心は、創造の達人です。
そして、私たちは心であり、思いという道具をもちいて自分の人生を形づくり、そのなかで、さまざまな喜びを、また悲しみを、みずから生み出しています。
私たちは心の中で考えたとおりの人間になります。
私たちをとりまく環境は、真の私たち自身を映し出す鏡にほかなりません。
だからこそ、アレンに言わせれば、お金持ちは「心が清く、清いが故にお金持ち」という論理になっているようにも感じます。はたしてそうなのでしょうか。お金持ちであれ、貧乏人であれ、私たちは泥沼に咲いた蓮のように、綺麗とは言いがたい世界を賢明に生きているものではないでしょうか?これに対して、アレンは、このように言っている。
一見不正直で裕福な人間は、一見正直で貧しい人間がもたない美徳を大量にもっているかもしれませんし、逆に後者は、彼ら前者が持たない不徳を大量にもっているかもしれません。つまり良い結果と、自身の不正直さが作り出している苦悩の双方を、同時に体験している可能性が高いのです
“「原因」と「結果」の法則”は、裕福な人たちを擁護するための本に過ぎなくなってします。正直者であるかどうかよりも、裕福かどうかが「心の清らかさ」を表していると、アレンは主張しているように読めてしまいます。
良いイメージは 良い結果をもたらす
私は、こんな世界を想像します。カースト制度で、泥棒をする身分に置かれた人は、泥棒する人生を強いられているかもしれません。もしくは、アーティストの三上寛が「夢は夜ひらく」で歌ったように、泥棒稼業に手を染める母もいるあるかもしれません。誰しもが多かれ少なかれ、罪を背負って生きています。人生は、かくまで悲しいものですが、それゆえブルースが生まれ、芸術作品が誕生するのかもしれません。
必ずしも、アレンの「成功哲学」は、水が染み渡るように読める内容ではありませんでした。それでもなお、アレンから学ぶことがあるとすれば、イメージが現実化するということなのだと思います。
自分の心をしっかりと管理し、人格の向上に努めている人たちは、「環境は思いから生まれるものである」ということを熟知しています。
環境は思いを形づくるでしょう。しかし、その働きかけは一方的でなく、思いも環境を変えるでしょう。画家は前もって見えた世界を絵に表すでしょう。ミュージシャンは前もって聴こえた音を音楽にするかもしれません。
もしくは、周囲を見えれば、似た者同士が集まる傾向があります。似たようなものは、人ばかりではなく、結果も寄り集まるかもしれません。良いイメージは、めざすべきゴールであると同時に、私たちが導かれれている未来でもあるでしょう。
「トイレを汚さないでください」という張り紙をトイレに貼ると、汚れたトイレがイメージされます。「トイレを綺麗に使ってくださりありがとうございます」という張り紙を貼ると、綺麗なトイレがイメージできます。望まれれる未来が示される、イメージが現実化するひとつの例かもしれません。
好き好んで汚れた仕事に手を染める者はいないでしょう。汚れた仕事に手を染めていると気づいていない人もいるかもしれません。自分自身が必ずしも望む人生を歩んでいないと気づく瞬間があったならば、望む未来を具体的に描いてみる作業が控えているかも。このようなことを気づかせてくれる意味において、”「原因」と「結果」の法則” は、人の世を生き抜くヒントがあったように思いました。