母校の法政大学は、飯田橋と市ヶ谷の間にあります。「酒は新宿神楽坂」といいますが、この一帯には神楽坂もあり、美味なお店が並んでいます。
飯田橋駅から靖国神社方面への坂をあがってすぐに、個性的なホイコウロウ(回鍋肉)を食べられるお店がありました。ラーメン屋「えぞ松」です。思い描くお話は20年以上前のことですが、このホイコウロウのことを書いてみます。
はじめてこのお店を訪れたのは、新入生歓迎コンパのときでした。サークルの先輩がホイコウロウをおごってくれたのです。
このホイコウロウの特徴は、ほぼ脂身だけの分厚い豚肉が山盛りになっていることです。各テーブルには大瓶が置かれて、なかにはすりおろしたニンニクが入っています。客は好きなだけ使うことができました。先輩学生は後輩に「すり下ろした生ニンニクを山盛りでのせるのが定番だ」と教えこみます。健康的とはいいがたい、ますますヘヴィなホイコウロウになるのでした。
若者の胃袋を容赦なく痛めつけ、一日中胃もたれさせます。このご馳走は「もてなし」と「いじめ」が半々なのです。善意と悪意がないまぜの味です。
上級生になれば後輩にご馳走する側になります。同じ「もてなし」をはじめます。この「もてなし」は永劫回帰してゆきます。学生たちは胃もたれに苦しみつつも、脂身とニンニクがもたらす禁断の喜びを受け継いでゆくのでした。
もっとも、腹をすかせた学生にとって満腹感はありがたいものです。
学生時代、私はえぞ松のようなヘヴィなホイコウロウを手作りしたいと思いました。肉屋で脂身ばかりの豚肉を購入し、ふつうの赤みそに砂糖を加えて炒めてみたのです。ところが、「ホイコウロウ」とはほど遠い。「炒めた豚汁」のような味になってしまいました。
いま思えば、ホイコウロウのみそは、「甜麺醤」(てんめんじゃん)や「豆板醤」です。
年を重ね、そこそこ知恵もつくと、ホイコウロウも上手に作れるようになりました。よく使う食材は、豚肉ではなくソイミートです。ニンニクではなく、ショウガを使います。この優しい味を知ると、もはや学生時代に愛食したヘヴィなホイコウロウには、もう戻れないなと思いました。
飯田橋のえぞ松の前を通るたび、学生時代に出会った友人たちの顔が思い浮びます。過去になったのは、ホイコウロウの味だけでないことにも、ふと気づきます。
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