マルガレーテ・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの弟

19世紀末のウィーンの名家ウィトゲンシュタイン。一家は自殺の家系でしたが、生き残った末っ子は、仕事を辞めてばかりでフラフラしておりました。

 「マルガレーテ・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像」はクリムトが描いた有名な肖像画。クリムトが描くと、性と死がないまぜになったエナジーを放つから不思議です。マルガレーテの肖像画からも気品と淫靡さがない交ぜなったエナジーが伝わってきます。クリムトの絵はやはりこうこなくっちゃ、と思わせる名画です。

 マルガレーテが生を受けたウィトゲンシュタイン一家は自殺の家系でした。クリムトに肖像画の依頼をできるくらいなのですから、相当のお金持ちです。家長のパウルはオーストリア鉄鋼業界の大物。ウィトゲンシュタインは19世紀末のウィーンでぶいぶいいわせていた大ブルジョアだったのです。しかし、お金があるからといって、悩みから解放されているわけではないようです。

 マルガレーテは8人兄弟姉妹の三女です。男の子は5人でした。そのうち3人は自殺しております。生き残った2人のうち、一人は第一次世界大戦で片手を失いましたが、ピアニストとして成功しました。もう一人は末っ子で、仕事を辞めてばかりでフラフラしておりました。

 自殺の誘惑からまぬがれ、五体満足で生き残った男の子はこの末っ子だけ。でも、この末っ子にしてもやはり自殺のことばかり考えていました。

 マルガレーテはこの末っ子の弟が心配です。30代になっても定職に就かず、ふらふらしている彼に仕事を与えました。マルガレーテが住むためのお家の設計と建築です。

 末っ子は建築家でもなんでもないのですが、専門家の協力を得ながらも設計図を書き上げて、2年がかりでお家を作りました。まるで、山梨の雑木林に、本を参考にしながら小屋を建てた高村友也さんみたいですね。

 しかし、このような実務経験を得たチャンスを結局生かさず、建築家の道は歩みませんでした。修道院で草むしりをしてみたり学校の先生をしてみたり、辞めてしまったり、部屋にこもって考え事をめぐらしてばかりいたのです。

 この考え事をまとめて出版社に持ち込み、本も出版したこともあります。生前に出版したのはこの1冊だけ。末っ子とはいえ金持ち一族なのですから、がんがん自費出版をして友人知人に配りまくればよいものですけど、それはしなかったそうです。

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この記事を書いた人

法政大学文学部哲学科卒。編集関係の業務に従事。金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味は絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。

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