高校時代、私はラガーマンでした。副主将で、ポジションはナンバーエイトです。「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」(One for all, All for one)をかけ声に、韋駄天(いだてん)のごとく走り回りました。トライするという一つの目的のために。
よくよく考えますと「一人はみんなのために、みんなは一人のために」に、相手チームは含まれません。ことばの響きは美しいものの、実際に運用してみるとピースじゃないこともあります。
レフリー(審判)の目が届かないところでは、選手たちはあの手この手の乱暴を働きます。スクラムのなかでは相手選手の目をめがけて砂をかけ、密集のなかでは指への関節技など。すべてはトライするため、ノルマ達成するため。これは相手チームにとっても同じなのですが。
「世の中はきれいなことばかりじゃないのさ」。高校生だった私は、うしろめたさ半分に荒技を重ねました。同時に学んだのは手加減、さじ加減です。加減を間違えると退場になってしまいます。
ところで、ちかごろメディアでは手加減なしの「日大の危険タックル」が話題になっています。
2018年5月6日、日大(日本大学)と関西学院大学とのアメリカンフットボール定期戦での出来事です。問題の日大選手がこの日3度も狼藉(ろうぜき)を働きました。なかでも背後からのタックルは世間の非難ごうごうで、負傷した選手は全治3週間で右脚にしびれが出ているそうです。
ここでふと「マキャベリズム」という言葉が浮かびました。「勝つためには手段を選ばない参謀術数」のことです。
この思想を広めたのは、16世紀ごろにイタリアで活躍した政治思想家、ニッコロ・マキャヴェッリさんでした。彼は「君主論」でこんなことを言っています。
「他人を傷つけねばならぬときには、その復讐を恐れる必要のないほど、徹底的に叩きのめしておかねばならない」
「個人の間では、法律や契約書や協定が、信義を守るのに役立つ。しかし権力者の間で信義が守られるのは、力によってのみである」
「一度でも徹底的に侮辱したり、手ひどい仕打ちを与えたことのある者を、重要な任務につかせてはならない」
「無理強いされた協約を破棄することは、恥ずべきことではまったくない」
「不正義で秩序ある国家と、正義で無秩序な国家なら、前者の方がよい」
「武装していない金持ちなど、貧しい兵士への褒賞みたいなものだ」
「人間は必要に迫られない限り、善を行わないようにできている」
天国に行く最良の方法は、地獄へ行く道を熟知することである」
「天国には退屈な人間しかいない」
出典:蔭山克秀、『人物で読み解くセンター倫理』学研、2016、p81
「他人を傷つけねばならぬときには、その復讐を恐れる必要のないほど、徹底的に叩きのめしておかねばならない」なんてところは、「日大の危険タックル」に似ているようにも思えます。しかし、マキャベリさんは次のようなことも付け加えています。
「君主は獅子の腕力と狐の知恵の双方を身につけねばならない」
出典:「大学では教えられない歴史講義 Ktai edition」(2018年5月15日閲覧)
「獅子の腕力」だけでは、マキャベリストではありません。日大の戦略は、派手なタックルが全国放送で知れ渡ってしまったので、「狐の知恵」が足りなかったようです。
この手加減・さじ加減なしの悪質プレーは、日大の監督さんの指示だったともうわさされています。
今回の事件から、試合は試合が終わった後も続いていると思いました。試合後のことも、本当は半歩先読みする必要があったのです。その監督は現在は姿をくらましているそうです[1]。
責任をとれないトップがいる組織は心もとないものです。マキャベリストになりきれなかった監督の「策士策におぼれる」という印象がしました。
【脚注】
- 日大アメフト部内田正人監督の雲隠れの理由!常務で人事部長だから? ↩