私には、大好きな人物が幾人かいる。今回はその一人、大学生時代に出会ったJさんという若者のことを書いてみようと思う。残念ながら彼は30代で亡くなってしまい、すでにこの世にいない。
Jさんとはじめて会ったのは、高尾利数先生が講義をする法政大学の教室でだった。Jさんの口癖は「ゆるしてやりんしゃい」「お隣さんとは仲良くしろ」などだった。こんな風に書くと、とても寛容な人に思えるかもしれないが、何か話すときには、必ず冒頭に「俺の話を聞け」をつける。気が短いのか、寛容なのか、いまいち分かりかねる矛盾だらけの人でもあった。
気が短いということで言えば、ある日、若きJさんは腹を空かせていた。高円寺の道ばたに柿の木を見つけたのだけど、年中、実をつけるわけではない。実をつけていない木に、Jさんは激高し、根元におしっこをかけて枯らしてしまった。これはいかがなものかと思ったものだ。
とはいえ、Jさんは基本的に、とても優しい人だった。
Jさんは大学では探検系サークルに属していたのだけど、Jさんは後輩たちと中東をママチャリで旅する無謀な計画を立てた。コンビニもない砂漠をママチャリで突っ走っているとき、力尽きた後輩たちがケンカをしはじめた。無茶な計画による疲労と空腹で、互いに「バカ」とか「愚か者」とののしり合う。するとJさんは、こう言ったという。
「俺の話を聞け!仲間に腹を立てるパーティは成功しない。いますぐゆるしてやりんしゃい。さあ旅を続けるぞ」
Jさんが「ゆるしてやりんしゃい」というと、怒りが収まるから不思議だ。というわけで、Jさんたちは世界をママチャリで駆け回ることに成功した。ことあるごとに、Jさんはキツイ言葉と共に「ゆるしてやりんしゃい」と発する。いろいろ矛盾だらけの人物だったけれど、それがJさんの魅力でもあった。バカボンパパの「これでいいのだ」に通じるパワフルな肯定の言葉だ。
Jさんとはじめて出会って、20年以上経った。彼はこの世にいないが、彼の言葉は生き続け、困難なときに私の脳裏にリフレンし勇気づける。