都内で電車に乗っていると、Christian Riese Lassen(クリスチャン・ラッセン)さんの個展ポスターをときたま見かける。日本でも熱狂的なファンを持つアメリカの画家さんです[1]。
美女に囲まれた画家の姿から、はなやかなセレブの世界をかいまみます。ところが、ふしぎなことに、彼の描く絵のなかでは女性を見かけません。下のリンクは、ラッセンさんの画像検索です。
Google画像検索:Christian Riese Lassen – Google 検索
たくさんの生き物たちが描き込まれた海は、まるで生の缶詰です。そこに死の気配はなく、アザラシを襲うオルカなんてもってのほか。とはいえ、いくら愛らしいイルカやオルカたちだって、食事をしないわけにはいきません。絵のなかの生き物たちも、観られていないときには、こっそり殺りくと食事をしているに違いありません。
ところで、いまから3億〜5億前の海で、イルカやオルカ、そして人間といった脊椎動物の祖先が登場したと言われています[2]。
生き物の歴史は、食べる、食べられた歴史。生きているモノよりも、死んだモノのほうが圧倒的に多い。膨大な死の積み重ねと、その恩恵によって、生が支えられている。だから、もし生だけの世界があるとすれば、死者たちからの支えを得られていない不自然な世界と言えるでしょう。
海の生き物たちは時間をかけて、恋人や夫婦たちが山登りするように、海から陸にあがり、子孫をのこしてきました。子孫をのこさなくても、大地をはぐくむ土壌になりました。
話はもどって、クリスチャン・ラッセンさんの絵は不思議です。
膨大な数の生命が描かれているにもかかわらず、死の気配がいっさい省かれ、性のまじわりも避けられています。死も性もない世界では、不思議なことに生の輝きや恵みが希薄になってきます。そこが海でなく、砂漠や火星に見えてくるから、ほんと不思議です。
最後に脱線しますが、あまりにもクリーンすぎる政治で生きづらくなった江戸時代に、こんな歌が流行っていました。
白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき
清濁(せいだく)あわせもつ世界こそはリアルと感じさせます。
【脚注】
- クリスチャン・ラッセン – Wikipedia 、閲覧日:2016年9月2日 ↩
- カンブリア爆発 – Wikipedia 、閲覧日:2016年9月2日 ↩
- CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3262792 ↩