新聞を読んでいると、権藤博さんに、カーブの投げ方を学んだ記者の話があった [1]。権藤さんは現役時代に、沢村賞も受賞した元中日の名投手だ。いまでもメディアで元気な御姿をときたま観るが、その鋭いまなざしには、ほれぼれしてしまう。
記者はいう。「変化球の基本ともいわれるカーブは奥が深く、プロの投手にとっても究極の変化球という面があるようだ」。まるで寿司通が寿司を語るような語り口で心に響く。
この話を、友だちのQさんにしてみた。Qさんは若かりし日、どこかの球団で二軍にいたという男だ。「権藤さんの現役は、オレが子どもの頃にみたなあ。すごいピッチャーだったけれど、肩をこわして、現役の時代は短かった」と遠いまなざしで語った。Qさんは五十すぎのロマンスグレーの男で、いまでは、ある分野で腕の良い職人である。野球の話となると、表情を鋭く変える。
権藤さんのカーブの話だが、「カーブはひねるんじゃありません。(指の間から)抜くんです」と語る。ですます調で、深みある話がおくゆかしい。「抜く」ようなイメージは、どこかしら軽やかさで、優雅だ。多くの人々の人生は野球とは無縁であるが、権藤さんの言葉には、真理を言い当てた格言の重みがある。われわれは、ともすれば力づくでカーブを投げるように生きがちだ。一方、「抜く」投げ方には、どこかしら身をゆだねるようで力強く、しなやかな生き様を彷彿させる。荒れ狂う強い風が吹こうとも、弱々しい葦は、身をゆだね、立派に育ってゆくように生きてゆきたいものだ。だって、ぼくら考える葦だもん。
権藤さんの話は、科学的な根拠があるようで、吉田加工所で作られたスライダーマシンにも同じ原理がみられるという。クジラが魚に似るように進化したこと、潜水艦の形がくじらに似たこと、もしくは飛行機の形が鳥に似たことを収斂進化という[2]。未来のスライダーマシンは、権藤さんと瓜二つかもしれない。人々の向上心を注ぐ情熱は、まだみぬ世界をきり開いてゆく。