2015年02月17日。青森県方面で、震度5強の大きな地震がありました。原子力施設が身近にあると、なおさら心配ですよね……。ところで、東日本大震災のような「震度7」は、日本でいままでどれくらい発生しているのでしょう?(2018年9月6日追記あり)
震度7とは
気象庁の地震情報のサイトを見ると、震度1から7までが色分けされています。凡例では、一番強い震度が、震度7です。
かつて、震度は体感および周囲の状況から推定していましたが、平成8年(1996年)4月以降は、計測震度計により自動的に観測し速報しています。
引用URL / http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/ 2015月2月17日閲覧
地震の揺れの大きさを表す指標で、主に気象庁が中心となって定めたもの[1]。現在は震度0から7までとなっています。
観測が始まってから、いままで3例しかない
注意:2015年2月17日執筆時
兵庫県南部地震
阪神・淡路大震災を引き起こした地震。テレビ中継で映し出された燃える街並みが恐ろしく印象的でした。
新潟県中越地震
新潟県では新潟県中越大震災とも表記しているそうです。当時、東京もかなり揺れた記憶があります。
東北地方太平洋沖地震
東日本大震災は、原子力に対する認識など、日本の歴史が大きく変わるきっかけとなった出来事でした。
追記 2018年9月6日時点で震度7は6例に
2016年4月14日「熊本地震」
2018年9月6日「北海道胆振東部地震」
厚真町で震度7の揺れを観測しました。国内で震度7の観測は6例目[4] 。
関東大震災や昭和東南海地震は震度7ではない
関東大震災
190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になった関東大震災は、震度7ではないのでしょうか?
データーベース上では、震度6……。
昭和東南海地震
歴史の闇に葬られた大地震、1944年(昭和19年)12月7日に起きた昭和東南海地震はどうでしょう。
当時、日本は太平洋戦争の最中で、軍需工場の被害状況などの情報が日本の国民や敵国に漏れることを恐れた軍部は情報を統制した。また翌8日が真珠湾攻撃3周年(大詔奉戴日)ということもあり、戦意高揚に繋がる報道以外の情報はより一層統制された
地震による家屋の倒壊、地震直後に発生した津波により、三重県、愛知県、静岡県を中心に、推定1223名の死者・行方不明者を出したとされているが、死者数は重複があり、918名とする説もある。これは、太平洋戦争中でもあり、戸籍などの謄本が津波により消失しているため現在でも正確な実数は把握できない。行政機能が麻痺したため、死亡届を出さずに、現在に至っている例も散在する。
戦争中だったので、情報統制がなされ、資料も少ないようです。こちらもデーターベース上では、震度6……[5] 。
関東大震災が震度7ではない理由
情報が少ない昭和東南海地震は置いておくとして、関東大震災が震度7でない理由は、当時は「震度7」の概念自体がなかったからかもしれません。当時と現在では、震度についてのはかり方も違います[6]。
震度の定義は何度か改定されている場合が多く、研究資料として用いる場合の連続性が問題となる場合がある。気象庁震度階級を例にとれば、計測震度が導入された1996年10月1日の改正前後で大きな差がある。また気象庁震度階級は観測点数が1990年代 – 2000年代にかけて急増し観測密度が高くなったため、震度の統計には補正が必要である。
震度という「物差し」は1996年10月1日を境に尺度が変わっているのです。
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